Simple life*

見たこと聞こえたこと感じたこと思うまま

大切な人を大切にするということ

 
今日という日が明日も明後日も
5年後も10年後も続くって思ってるけど
もしかしたら明日は来ないかもしれない
そんなあたりまえのことが
あたりまえの日常の中に埋もれてしまう
 
隣で寝息が聞こえること
おはようと朝の挨拶を交わせること
おいしいねと食事を楽しめること
一緒に映画を観れること
いってらっしゃいと言えること
きれいだねと空を見上げられること
 
本当はひとつひとつが奇跡で
一度きりしかなくて
だけどそのことを忘れて
その一瞬を過ごしてしまうことも多くて
 
はっと気付いた時には後悔してた...
 
そうなりたくないから、
こうやって思い出した時には
相手にそっと身を寄せて
温もりや心臓の動く音、呼吸を感じる
その時間は本当に愛おしくて幸せで
何にも変え難い
 
大切な人がいるというのは
自分が起こした奇跡
そして
その大切な人を大切にするというのは
まさに生き様そのもの

田舎での人付き合いがわたしに与えてくれること

「仕事やめました。」の報告をすると、
「お疲れ様」と声かけをしてくれる人がたくさん。
対面で伝えてくれる人、直接メッセージをくれる人、
電話をくれる人、花束を渡してくれる人・・・
いろんな方法で伝えてくれる心の形。
それがなんともあったかくて・・・

それも古座川町に来てから出会った人も多い。
早い人でも出会って1年・・・
本当にこっちの人はあたたかい。

逆に考えさせられる。
京都・大阪を拠点に活動していた時はどんな人間関係を築いていたんだろう。

人との出会いが楽しくて、いろんな人に出会いに行った。
その場限りの人もいれば、今でも連絡を取り合っている人もいる。
だけど、どんな距離感であっても、自分が素直に心をひらいている人は何人だろう。
何があっても助けたい!と思える人は何人だろう。
日頃から気になっている人は何人だろう。

人付き合いの年数は短くとも、自分の中で大きな存在の人は
圧倒的にこっちの人の方が多い気がする。

波乱万丈な人生を歩んでいる人、バリバリのキャリアを持っている人、
破天荒な行動で行きている人、裏社会で生きている人、
都会に行けば行くほど人の母体数が増える分、人の種類も増えておもしろいけれど、
田舎には人ひとりひとりの持つあたたかさや
相手にかける気持ちの重さが違う気がする。
それは社会の仕組みとしても仕方のないこと・・・
どちらが良いとかはなくて、きっとその人に合うものがある。
それが1番いい。
わたしにはこっちの生活や社会が合っている、それだけのこと。

今、都会で苦労したり悩んだりしている人は、
一度田舎に来て人と触れ合えばいいんじゃないかなあ。
たいていの悩みは直接的で無くても人間付き合いが関係しているので、
田舎で人との触れ合いを通していろんなことを学んだり気付いたりすれば
解決してしまう気がする・・・

人の有り難さは知っているつもりでいたけれど、
改めて痛感させられたのでした。

 

 

辞める時に気付くこと「仕事やめました」

今日、ひとつの節目を迎えました。
古座川町に来てから今まで続けていた仕事をやめました。

串本にある島のパン屋さん”nagi”。

今までいろんな職場を経験しましたが、仕事も人も環境も、
間違いなく1番大好きで心地よい職場でした。

古座川町に来る前は、1年間という期限を決めて来ていたので、
その1年で何しよう?と考えているとき、
こっちでnagiというパン屋に出会い、それはそれはとてもすてきなパン屋で、
ここでパン作りを学びたい!という思いが芽生えると
すぐにオーナーのところへ挨拶に行き、面接を受けていました。
そして、わたしのパンに囲まれたしあわせな生活が始まったのです。

あの時、突然京都から来たよくわからない小娘を潔く受け入れてくれた
オーナーご夫婦には本当に感謝です。

あれから、早1年・・・
思い返せば、いろんな学び・思い出がありますが、
nagiというパン屋で働いた経験はわたしの人生において
本当にかけがえのない宝物となりました。

そんな大好きな職場での仕事を終えて、今感じることは
ただただ ”清々しい” ということ。
退勤する時に「お世話になりました」とみんなに挨拶をして出てきたけれども、
また明日の朝「おはようございます」と言って、工場のドアを開ければ
みんなが「おはようー」と何気無く返事をしてくれそうな気がして。
やりきった感でもなく、感動でもなく、何とも言えない晴れやかさ。
そんな気持ちで心がいっぱい。

1日に20〜30枚ものピザを焼くことも
ばんじゅういっぱいの生地を何十個も成型することも
重い鉄板を何十枚も洗うこともとうていないんだろう。
だけど、そのことに対しての悲しさはない。
ただ、そのことが日常だった過去の日を振り返ると何とも愛しくて切ない。

何かが終わったり、何かを失ったりした時には必ず
当たり前が当たり前じゃないことに気付く。
正式には、思い出す。
どんなに楽しいことも辛いこともずっと続くなんてことはなく、
必ずどこかで終わりが来る。
”存在する” ということは、”消滅する” ということ。
命にすると、”生きる” ということは、”死ぬ” ということ。

そのことに気付いているか気付いていないか・・・
頭にあるかないかで自分の在り方は大きく変わるだろう。

だいすきなnagi。
たくさんの学びと気づきと楽しさとおいしさとやさしさと感謝と・・・
いっぱいいっぱいありがとうでした。

”ありがとう”と思える日々に感謝です。

 

生活のベースが違うということ

先週から5日ほど大阪・京都へ行っていました。
友達と会ったり、買い物したり、
古座川町ではあまりできない時間の使い方をしたわけですが。

初日の夜から思ったこと・・・
「都会に出ると、健康的じゃないなあ」

まず、生活が不規則。
夜はわりと遅くまで予定があったりして、帰るのが遅い。
なんてったって、お店が開いてるんだもん。
古座川だったらほとんど21時くらいには閉まる。
お店で日をまたげるところなんてそうそうない。
早いとこ切り上げよう・・・てか、切り上げなきゃってなる。
終わりが早いから、はじまりも早い。

それにも基づくけど、食生活も不安定。
どうしても外食になっちゃって。
もちろん美味しいお店も断然多い。
いいもの取り扱ってそうなお店も多い。
それでもやっぱり相手に合わせたり、飲みに行ったりすると
健康的な食事は取りにくい。
砂糖が多いなってなったり、脂っこかったり、塩分高かったり。
そんなこんなで、2日目くらいから家でご飯が食べたいと
思いながら過ごしていました。

あとは、ムダに多い人への気配り。
電車では席を譲り合い、
道端ではたばこのけむりを気にし、
街中では肩をぶつけながら流れ行く人々を横目にその流れに沿って歩く。
いろんなことで周りを気にしなくちゃいけない。
古座川だったら、気にするものは
風の強さとか鳥たちの声とか気温の変化とか。
まるで気になるものが違う。
どっちがいいかなんてないけど、わたしは人ばっかりに気をとられるのは
なんだか疲れるなあって感じちゃう。

田舎にいると、おいしいご飯が食べられなくて都会に行きたくなるけど、
都会に行くと田舎の自然な生活に戻りたくなる。
どちらにもいい面悪い面があるし、適度な行き来は必要だけど、
やっぱりホームは田舎が合ってるのかな・・・なんて思います。

本物を知る人々と一緒にいるということ

田辺から友人夫婦が家を訪ねてきてくれました。
「友人」と言っても、同年代ではなく、自分たちの親世代。
しかも、昔からの知り合いでもなく、去年一昨年?あたりに出会ったばかり。
それでも、仲良くさせてもらってる。

そのご夫婦がまたいい。
奥さんの何の交わりもないあの笑顔に癒され、
旦那さんのまっすぐで落ち着いた空気に包まれれば、
もうその瞬間はこの世の悪いことがすべて平和に
解決しちゃうんじゃないかってくらいの気持ちになるような人たち。

気温が高い日だったので、旦那さんからの今日のメールには「今日は暖かいね」
風が強く吹いているのを見て言った奥さんの一言は「踊ってるね」
マルコともすぐなかよくなって散歩に連れてってくれた旦那さんは「いい子だね」
お昼ご飯を作ってくれた奥さんに「おいしいです」と言うと、「素材がいいね」
奥さんは車にあるmyお箸をわざわざ取りに言ってくれた旦那さんに「ありがとう」
旦那さんはご飯の片付けをしてくれた奥さんに「ありがとう」

このご夫婦からは、すてきな言葉しか出てこない・・・

まさに田舎ぐらしの象徴のような人たち。

そんな二人も数年前までは、大都会に住んでいた。
冷暖房完備の中で仕事をし、飲み会にも出かけていた。
そんな二人が田舎に来て1番感じているのは、
食べものがとても体に影響している、ということだそう。
外食をするとすぐに関節の痛み等の不調が出るという旦那さん。
今は奥さんがいい食事を作ってくれるから体の不調も治った・・・と。
それで、ほとんど外食もしないし、出かけるときもお弁当を持って行くとか。
とても繊細なそのご夫婦は、農薬を使った野菜と無農薬の野菜の味がわかったり、
新鮮な魚を求めて魚屋さんに言ったり、器で変わる味に気付いていたり。
本物の味を知っている。

食べ物のことはわたしも関心があり、よく思う。
わたしはもともとは砂糖依存だったと思う。(たぶんね)
でもいろいろな情報を知るうちに砂糖を少しずつ敬遠するようになった。
わたしはこのご夫婦ほど繊細でないので、
あまり違いや不調は感じないが、気持ち的なところで変わる。
やっぱりいいものはおいしいし、体も喜んでいる気がする。

調味料やインスタントなものは化学的なものが多く、
知らぬ間に人々の体を蝕んでいる。
忙しくて、お金がなくて、何とでも言い訳はできるけど、
少しでも多くの人が、このご夫婦のように
本当にいいもの”ほんまもん”を食して生きてほしいと切に願います。

最高の相手に出会えた時こそ自立しなければ。

秋から冬にかけての楽しみは、
枯れ葉を踏んで歩くこと。
くしゃくしゃ
ぱりぱり
ぺきっ
いろんな音となんとも言えない感触。
あれが好きでこの時期の散歩はいつも足元がにぎやか。

今年はもうひとつ発見。
どんぐりを踏むのも楽しい。

家の近くにどんぐりがたくさん落ちている場所があって
いつもマルコと散歩する。
わたしが足元の音と感触を楽しんでいる傍ら、
マルコは転がるどんぐりを食べちゃうぞーと必死で追いかける。
どんだけ食い意地張っとんだ。

そんなマルコはいつでも散歩のパートナー。
お互いわがままだから、あっち行きたい!だめ!が
繰り返されるけど、それでも一緒に行く。
犬と人と姿カタチも違うけど、”生きてる”ってことは一緒。

パートナーっていうと、親友とか結婚相手とか仕事仲間とか
いろいろな形があるけど、その存在はとっても心強い。
でも、パートナーがいるからって
自分が強くなれた気になるのはなんだかなって思ったことがある。
確かに、パートナーの存在は心の支えになるし、
やる気を起こさせるし、孤独感も感じさせないし、
いいこともたくさんあるんだけど。
逆にパートナーに頼りすぎちゃうこととか
パートナーがいるから大丈夫!みたいな
自信過剰マンになっちゃうこともあるんだろうなって。
”一心同体”とか”相思相愛”とかいう言葉もあるけど、
それはふたつあるから起こり得ることで、
あくまで自分と相手は別物だってことを
忘れちゃいけないんだなあ・・・とね。

でも、いないよりいる方がいいなって思っちゃうわたしは
根っからの依存タイプなんだろうな。笑

鴨をさばくといろんな職種を経験できる。

クリスマス。
わたしは毎年サンタの格好して街中をうろちょろして過ごしてました。
シングルの時もそうじゃない時も。
洋服着なくても変な目で見られない年に2回のうちの貴重な1回でした。

クリスマスってだけで、街は騒がしいくらいにぎやか。
クリスマスソングが勝手に耳に入ってきて、
赤か緑のものを横目に、楽しそうな人々が流れていいく。
そんな街中で過ごしていました。

でも今年はうって変わってこの古座川町
若い人がなかなかいません。
カップルなんて・・・ご夫婦ばっかりです。
クリスマス感を頑張ってるのは、コンビニがダントツ。
ケーキとチキンまみれの陳列棚に心踊る子どもたち(と、わたし)。

そんな時ご近所さんから朗報が。
「鴨いらんか?」

ということで、この瞬間わたしたちのクリスマスは
チキンではなく、ダックということに決定。
クリスマスの真昼間から鴨との戦いが始まりました。

①捕まえる。
もらう時に歩けんようにと結んでくれた紐がまさかのとれている。
鴨逃げる。
きっと自分の運命を悟っていたのだと思う。
草むらの中、倉庫の下ととにかく隠れて逃げる。
3人がかりで追い込み猟。
捕まえた。f:id:Lutin:20161226135011j:plain

②気絶させる。首を切る。
水の入ったバケツの中に頭を突っ込んで、ぐるぐるして
鴨を気絶させてから、首を切る。
血がどくどく流れ出て、生々しい。
生が死と戦う瞬間。
しばらくすると、動かなくなり、全身の力が抜ける。
血が抜け切るのを待つ。

③お湯につける。毛をむしる。
まずは、熱湯風呂へ。
「湯加減どうですかー」って、熱いに決まってるけど。
そのあと、全身脱毛タイム。
f:id:Lutin:20161226135117j:plain
とにかく手作業で全身の毛を除去。
そしたら、スーパーとかでみたことある、
あの肉と皮の感じになる。

④うぶ毛をあぶる。
f:id:Lutin:20161226135142j:plain
どうしても残ってしまう細かい毛を焼いて除去。
全身脱毛は少しでも残ったらクレームだから。
最新の注意をはらって、毛を除去します。
これで、ムダ毛ばいばい。

⑤解体。
せっかく天気がいいので、青空解体。
f:id:Lutin:20161226135227j:plain
「お客さん、だいぶかたまってますねー」
なんていいながら、整体師になった気分で関節をほぐす。
f:id:Lutin:20161226135337j:plain
包丁を入れる。
鴨は脂がすごい。
「これがね、固まるととれないですよー」
なんて言いながら、無駄な脂肪除去。

そしたら、みるみるうちに肉の塊になっていく。
3分クッキング。(あれ3分じゃないよね。)
で、できあがりがこれ。
f:id:Lutin:20161226135459j:plain

クリスマスダックのできあがり。
持って帰って調理して、おいしくいただきましたとさ。

命をいただく、ってこういうこと。
コンビニでこんがり焼かれた茶色の塊を買うのもいいけど、
たまには本当の生からいただくのもいいかな・・・なんて。

鴨さん、ありがと。