Simple life*

見たこと聞こえたこと感じたこと思うまま

命の話

マルコと散歩に行くと必ずついてくる。
どこでどうやってくっついたかわかんない。
けど、くっついてくる。

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今日は立ってた。
元気に立ってた。
愛しいこの姿。

生き物だと命があるのが理解しやすい。
冷たくなるとか、動かなくなるとかあるから。

でも、植物って分かりにくい。
しおれたり、枯れたりするけど、”死んだ”って思わない。
”死んだ”と同じなのに。

冷蔵庫の中にいる野菜たち。
これって生きてるの?
それともわたしたちの口に入ったら死ぬの?
それとも調理するために切ったら?
それとも放って置かれてカビが生え出したら?
それともカビの生えたやつをゴミ箱に捨てたら?
それか土から掘り起こされて、または、茎からもぎとられた時から?

なんか難しい。
お魚だと死んでるって分かりやすいのに。

屠殺場で解体を見た後の肉の塊だったら死んでるものって思うけど、
日が経って色が変わった肉と新鮮な赤い肉を並べられて
こっちが生きた肉だよって後者を指差されたら
あーなるほど、ってなるかもしれない。

一方で「すべてのものに命はある」っていう人。
絶対いる。会ったことある。どこかで。聞いたことある言葉。

そしたら、命って何?
どれが命を持っててどれが命を持ってないの?

わたしはある時、水の命についてよく考えたことがある。
川をながれる水は一つの命なのだろうか?
じゃあ、川の水が流れ出た先にある海の命は?
雫にはひとつひとつ命があるのだろうか?
じゃあ、雫がたまってできたみずたまりの命は?
わからなくて、ある人に聞いたらその人はこう答えた。
「命というものが何か自分で決められていないからわからないんだよ」
命がなにか・・・
目に見えないもの・・・くらいしか出せなかった。

そうして、日が経つうちにそのことを忘れていった。

でも、今この命に囲まれた生活の中でまた命の課題に戻ってきつつある。
これは長らく答えが出ないことだろうし、もしかしたら
自分が死を持ってわかることかもしれないとも思ってる。
少なくとも焦ってはない。
「命とは何か」はわたしの人生をかけたひとつの課題になりそうだなあ。